エッチングの作家と言えば誰を挙げるでしょう?
私は「レンブラント」でしょう!(今日の気分)
「‥つまらん。ダサいセレクト。」という声も聞こえてきそうですが、かつて若い私(今も絵描きとしたら若輩ですが)もオールドマイスターとその作品にそう思っていました。「レンブラント?ロックじゃね〜よ〜!」と。‥ところがどうでしょう!年を経るごとに彼の人生が生き様が自画像と共に私の胸に魂に共感と憧れを呼び起こしてくるのです。
私が大学生の頃「ポンヌフの恋人」という映画が公開されました。ヒロインのミシェルは絵描きでありながら失明の危機にさらされています。絶望のあまりホームレスとなり放浪の身空、光を失う前に最後に見ておきたい作品があると彼女は仲間のホームレスの手引きで真夜中のルーブルに忍びこみます。そのシーンで彼女のろうそくの光に照らされ浮かびあがったのはレンブラントの晩年の自画像でした(涙)
当時は当時でなるほどなぁと思ったのですが、絵描き半生を経た今ではグッとくる激シブセレクトだなと撮影当時二十代だった監督の早熟に天才に恐れ入るばかりです。なぜ「レンブラントの晩年の自画像」がグッとくるのかを説明するのは長くなりそうだし野暮なので止めておきますが‥。
さて!話は脱線しましたが「レンブラントのエッチング」の話です。
レンブラントはタブローというか油絵の作品で有名ですが、エッチングの作品も多数手がけております(399点)
17世紀の当時エッチング技法が発明されたばかりですが、この技法は当時かなり画期的だったのです。銅版画自体は先んじて印刷・複製用途としてあったのですが、銅板を彫るのに技術が必要でした(ビュランによるエングレービング)ところがエッチング(薬液による腐食)技法が発明されるとスケッチやクロッキーをするように線がひけ、その描線そのままに紙に刷ることができるようになったのです。つまり今までは一部の職工たちに拠っていた版作りを絵描きたちが簡単にできるようになったのです。ありがたい‥まったく今も昔も技術の大衆化というのは繰り返されるものですね。
レンブラントはこの簡単なエッチング技法を使って、ささっとクロッキー的な軽い版や何年にも渡り描いたり削ったりした重厚なタブロー的な版も作りました。その中には油絵でもたくさん描かれた「自画像」も。エッチングの自画像は油絵のものより軽やかで画家の色々な表情を捉えています。きっと油絵のためのスケッチという意味もあったでしょうし、写真のない時代に軽い記録のつもりもあったのでしょう。そのようなエッチングを幅広く使った自由さ、とかく「作品であろう」と固く考える私にエッチングはもっと自由であっていいのではと彼から諭されているようでもあります。
またエッチングというのは「作品であってもいいし作品でなくってもいい」身近で気軽なものだよとエッチングとの楽しい付き合い方や教え方をマイスターが「作品」から伝えてくれているような気がする今日この頃です。
我が工房に現存する唯一のレンブラント作品「自画像とサスキア」(後刷り)
ある方からオランダのレンブラントハウスのお土産にいただきました