GWはOPしてます

一身上の都合でお知らせが遅くなりましたが、ゴールデンウィーク期間中も工房はいつも通り営業しております。どうぞご利用ください。
制作もぶらりお立寄りも
お待ちしております。


新緑の季節、新芽がどんどん伸びてきた

四月です

早いものであれよあれよいう間に桜の季節になりましたね
なんだか世界がざわざわしている感じがしますが、こういう時こそ心静かに作品と向き合いたいと思います
爆発するのは芸術だけで十分です
新年度、新たな創造の胎動を!

千葉市美術館ワークショップ「エッチング、はじめての銅版画体験」終わりました

千葉市美術館のブログにワークショップの模様が掲載されています

まずはたくさんの参加希望、ご応募いただきありがとうございました。このような時期にもかかわらずたくさんの応募をいただいたようで、当選参加を楽しみにしてた方には本当に申し訳ごさいませんでした。

さて当日(23日祝)は10歳から60代の幅広い男女15名の参加者により、はじめてのエッチングに手探りながらも真剣に取り組む熱気ある講座となりました。のたのた講師をフォローしてくれた美術館スタッフたちの心配りのおかげで参加者全員、無事時間内に版を完成させ刷ることができました。
まったくもって皆さん一作目から自分の表現になっているところが素晴らしい!個々の刷り上った作品をお見せしたいところですがプライバシーの観点から控えさせていただきますが、短い制作時間にもかかわらず小さい作品の中にそれぞれ自分の世界観、個性が表現されているのを見てとり、参加者の熱心さもさることながら改めてエッチングの面白さ(小さいサイズでも大きなイメージを想像させる)を再確認しました。
そして何と言っても銅版画の楽しさはプレス機を回して刷った時、紙をめくりあげる時のドキドキと驚きです。皆さんの刷りあげた作品を見ている表情から改めてそのことを新鮮に感じました。

参加者をはじめ美術館スタッフの皆さま、あっという間の楽しい一日をありがとうございました。いつかまたプレス機を挟んでお会いしましょう!







千葉市美術館のブログにワークショップの模様が掲載されてます
https://www.ccma-net.jp/blog/16337/

エッチングといえば

エッチングの作家と言えば誰を挙げるでしょう?
私は「レンブラント」でしょう!(今日の気分)
「‥つまらん。ダサいセレクト。」という声も聞こえてきそうですが、かつて若い私(今も絵描きとしたら若輩ですが)もオールドマイスターとその作品にそう思っていました。「レンブラント?ロックじゃね〜よ〜!」と。‥ところがどうでしょう!年を経るごとに彼の人生が生き様が自画像と共に私の胸に魂に共感と憧れを呼び起こしてくるのです。
私が大学生の頃「ポンヌフの恋人」という映画が公開されました。ヒロインのミシェルは絵描きでありながら失明の危機にさらされています。絶望のあまりホームレスとなり放浪の身空、光を失う前に最後に見ておきたい作品があると彼女は仲間のホームレスの手引きで真夜中のルーブルに忍びこみます。そのシーンで彼女のろうそくの光に照らされ浮かびあがったのはレンブラントの晩年の自画像でした(涙)
当時は当時でなるほどなぁと思ったのですが、絵描き半生を経た今ではグッとくる激シブセレクトだなと撮影当時二十代だった監督の早熟に天才に恐れ入るばかりです。なぜ「レンブラントの晩年の自画像」がグッとくるのかを説明するのは長くなりそうだし野暮なので止めておきますが‥。

さて!話は脱線しましたが「レンブラントのエッチング」の話です。
レンブラントはタブローというか油絵の作品で有名ですが、エッチングの作品も多数手がけております(399点)
17世紀の当時エッチング技法が発明されたばかりですが、この技法は当時かなり画期的だったのです。銅版画自体は先んじて印刷・複製用途としてあったのですが、銅板を彫るのに技術が必要でした(ビュランによるエングレービング)ところがエッチング(薬液による腐食)技法が発明されるとスケッチやクロッキーをするように線がひけ、その描線そのままに紙に刷ることができるようになったのです。つまり今までは一部の職工たちに拠っていた版作りを絵描きたちが簡単にできるようになったのです。ありがたい‥まったく今も昔も技術の大衆化というのは繰り返されるものですね。

レンブラントはこの簡単なエッチング技法を使って、ささっとクロッキー的な軽い版や何年にも渡り描いたり削ったりした重厚なタブロー的な版も作りました。その中には油絵でもたくさん描かれた「自画像」も。エッチングの自画像は油絵のものより軽やかで画家の色々な表情を捉えています。きっと油絵のためのスケッチという意味もあったでしょうし、写真のない時代に軽い記録のつもりもあったのでしょう。そのようなエッチングを幅広く使った自由さ、とかく「作品であろう」と固く考える私にエッチングはもっと自由であっていいのではと彼から諭されているようでもあります。
またエッチングというのは「作品であってもいいし作品でなくってもいい」身近で気軽なものだよとエッチングとの楽しい付き合い方や教え方をマイスターが「作品」から伝えてくれているような気がする今日この頃です。


我が工房に現存する唯一のレンブラント作品「自画像とサスキア」(後刷り)
ある方からオランダのレンブラントハウスのお土産にいただきました

エッチングらしい作品とは⁉︎

まだまだ寒い日が続きますね。
寒い日や雪の日になるとマーシーの「とても寒い日」という曲を思い出します。
ナマケモノの私には心情的にはシンクロ率100%の曲でした。

さて、千葉市美術館のワークショップ「エッチング、はじめての銅版画体験」まであとひと月になりました。おかげさまで多数の応募・問い合わせがあるようですが、抽選ですのでこれからでも奮ってご応募ください(2月8日[火]まで)

先日、ワークショップの予行練習ということで美術館ボランティアスタッフに協力いただきエッチング制作を体験してもらいました。
その制作の最中にいくつか質問をいただいだいたのですが、その中に「エッチングにはどういう絵柄が向いてますか」「この下絵で銅版画らしくなりますか」等の質問がありました。

なるほど、銅版画(エッチング)を制作したことのない方にとっては至極当然の質問かもしれません。結論から申し上げますと「どのような絵柄や下絵を考えてこられても銅版画だからって特に問題はない」です。
もちろんエッチングの特性から「線」や「点」で描画していくことになるので、それに向いた絵柄や下絵を考えた方がエッチングの特性を十二分に活かせるに違いはないのですが、あまりそれにとらわれると逆にイメージの発想を狭めることになるのではと考えます。
「エッチングだからこういうのがいいのかな」も大事ですが、「こうゆうのが描きたいのだけれどもエッチングにしたらどうなるかな」も良いのではないでしょうか。

また、あるイメージがあってそれをエッチングの「線」や「点」で描いていくという過程の中で、そのイメージに変化や展開が生まれるのも面白さのひとつです。
私も銅版画歴が長く色々な作品を描いたり見たりしてきた中で、知らず知らずに考えや発想が「銅版画脳」になってきてしまい、つい銅版画の特性に合うようなイメージ作りをしてしまうのでよくないなぁと自戒することも度々‥。
限りある時間の中「知らない者の強み」で作ったスタッフ達の刷り上った作品を見て新鮮な思いがしました。

というわけで無理に銅版画だからといって最初から銅版画らしい作品を作ろうとしなくても良いのではないかなと思います。刷ると意外なほどザッツ エッチング!になりますのでご心配なく。


プライバシーの観点から謎の制作風景ですが‥